研究者として世界を渡り歩いて
数カ国に渡って研究活動を続けていらっしゃる英国・ダラム大学の鈴木康平先生に色々とお尋ねしてみました。美しい景色のお写真もご提供いただきました。
ーご研究内容を教えてください
確率論、統計力学、微分幾何学、最適輸送理論に関わる研究をしています。例えば、顕微鏡などで、水中や空中を覗いてみると、無数の粒子がランダムに動いている様子が観察できます。このような運動を研究するのが、統計力学や確率論です。私の研究は、
無限個ある粒子の運動は「無限次元空間の中に動く1粒子の運動」
とみなして研究する事です。そのために、無限次元空間の微分幾何学や解析学に関する性質を研究する事が多いです。無限次元空間では、典型的な有限次元空間では起こらないような不思議な事が多く(例えば、球の体積はどんな半径を取ってもゼロになる)、そういう不思議な空間を研究するためには、次元に依存しない頑強な方法を使って研究する必要が出てきます。その一つが最適輸送理論で、元々は輸送コストの最適化を数学的に定式化するという実用的な方向から生まれた数学ですが、その理論は今や驚く程一般的な設定で展開され、様々な数学の分野で応用されています。
ー数学の良いところはなんですか
私は歴史が好きです。昔の人と今の人が考える事は似ていて、例えば1000年以上前の枕草子の中で描かれている、ものや自然を美しいと思う心は、時代や場所によらない普遍的なものです。遥か昔の時代の作者の作品に触れ、考えを共有出来る事は素晴らしいと思います。皆さんが数学で習う図形の問題、例えばピタゴラスの定理(三平方の定理)などは2000年以上前(紀元前)から知られている定理です。数学がいかに歴史的な科目であるかが分かります。ピタゴラスの定理を発見した人は、自分の見つけた定理が2000年以上後に世界中の学校で教えられる事になるとは思ってなかったでしょう。数学の魅力は、
それがどの時代にどの場所で誰によって証明されたかに関わらず、普遍的に正しい
という事だと思います。
ー数学をしていて楽しい時と辛い時はいつですか
楽しい時は、何年も考えていて出来なかった問題を解けそうなアイデアが浮かんだ時や、面白そうな研究のテーマが浮かんだ時です。研究論文が雑誌から掲載された時や、研究発表で良い反応があった時も嬉しいですし、誰かが自分の研究を引用してくれているのを見つけた時も嬉しいです。質問に来た学生に鮮やかな回答を与えられた時も嬉しいです。ただし、こういう楽しい時間というのは一瞬で通り過ぎていきます。辛い時は、例えば、研究を始めたばかりの頃、自分で面白いと思える問題がなかなか見つからなかった時や、研究論文を雑誌に投稿して2年近くも待たされてから短いコメントで掲載拒否された時でしょうか。博士を修了してから現在のダラム大学のポストにつくまでに私は6年くらいかかりました。その間に出した他の大学の公募が上手くいかなかった時も辛かったです。ドイツやイタリアでポスドクをしていた頃は、優秀で良い雑誌に論文を載せている同世代や下の世代の若手研究者が沢山いて、そういう人たちと自分を比べてしまう時も辛かったです (上には上がいくらでもいるので、人と比べない事が大切だと最近は思うようにしています。)
ー大学生活から現在に至るまでについて教えてください
現在はイングランドの北東部(スコットランドまで電車で1時間半くらい)にあるダラムという街に住んでいます。街の中心に世界遺産のダラム大聖堂(11世紀ごろに建立)があり、ハリーポッターの映画でロケーションシューティングに使われた事でも有名です。個人的には今まで住んだ街の中でも最も美しい街の一つだと思います。
私は高校までは大阪府堺市に住んでいましたが、大学以降は京都→ボン(ドイツ)→仙台→ピサ(イタリア)→ビーレフェルト(ドイツ)→ダラムと色々な場所に移り住んできました。研究者は博士課程を修了してから(任期期限無しの)大学のポストを得るまでの間は、自分が将来どこに住む事になるのかを予測するのは難しくて、私自身もイギリスに辿り着く事になるとは思っていませんでした。言葉、文化や食事の違いや、海外で引越しを何回もする事は大変でしたが、良かった点は色々な言葉や文化を前よりも理解出来るようになった事と、日本の事が前よりも分かるようになった事です。「外国語を知らない人は母国語のこともわかっていない」というゲーテの有名な言葉は、言語だけでなく色々な場合に当てはまると思います。趣味で大学時代はグリークラブという男声合唱サークルに所属していて、テノールかセカンドテノールをしていました。現在もダラムで合唱を続けています。各地の可愛いぬいぐるみを集めるのも趣味です。
ーダラムでの研究生活を教えてください
欧米の大学では10月が学期初めです(日本では4月)。ダラム大学では、10月から12月の初めまでの10週間をMichaelmasと呼び、1ヶ月間のクリスマス休暇を挟んで、1月から3月までの10週間をEpiphanyと呼び、4月後半の2週間をEaster termと呼びます。授業期間は一年間で22週間で、それ以外は基本的に大学の業務などはありません。日本の大学と比べると随分授業期間は短いですが、授業期間中は色々な業務が集中的に降ってきて、非常に忙しいです。授業期間が終われば研究をゆっくりする時間が取れます。私の場合は、例えば今年の4月から9月までにリール(フランス)、スウォンジー(イギリス)、パリ、リスボン、ウィーン、香港、メキシコシティ、北海道、オーバーヴォルバッハ(ドイツ)など色々な国での研究集会に参加予定です。それに加えて、共同研究者との研究打ち合わせなどをしながら、研究論文を完成させていきます。
ーダラム大学の学生の様子を教えてください
ダラム大学はイギリスの中では最難関の大学の一つ(The Guardian紙のイギリス国内の大学ランキングでは毎年5位あたり)で、学生は総じて優秀です。また国際的な大学でおよそ3人に1人の学生がイギリス国外から来ています。授業期間中(10月-12月, 1月-3月)の学生は非常に忙しいです。毎週大量の宿題が出て、それを消化するだけでも大変なのに、それに加えて、学生同士がグループを作って授業で習った内容を基にしたプレゼンテーション発表などの課題もあります。授業期間が終わると、1ヶ月間のイースター休暇ですが、学生は試験の準備に追われます。試験が終わると(5月頃)、学生はやっと一息つけます。6月から9月のダラムは過ごしやすく気温は20-25度で湿気もなく、学生は心地よい夏休暇を過ごすことでしょう。
ー最後に一言
中高生の皆さんが読まれていると想定してこの記事を書きました。定期試験の結果などに一喜一憂しすぎず、新しいことを勉強するときの好奇心や、音楽、絵画、詩などを美しいと思う気持ちを大切にしてみてください。数学はそういう感覚の上に成り立っている学問だと思います。
※2024年7月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。