夢をあきらめない!ドイツのカリーナが選んだ道
女子の皆さん、こんにちは。
ドイツ出身のカリーナと申します。私がどうやって数学の博士号を取得する事になったかを皆さんにお伝えさせて下さい。私はアルプスの近く、ドイツ南部のバイエルン州の小さな村で育ちました。数学の本を読むのが大好きで自分で勝手に読んでいただけで、数学オリンピックの存在すら知らず、数学に関して誰からもプレッシャーを与えられたり、応援してもらった事はありませんでした。どの時点で自分は本当に数学が大好きだと思うようになったか、はっきり覚えていませんが、多分、整数の素因数分解を習った時すごく感動し、その直後だった気がします。高校三年の時に素数についてのリサーチ論文を書き、そのために大学の講義ノートや教科書を読んだ事はすごく良い経験でした。それらの資料から整数論について学べた事はすごく楽しかったです。数学が純粋に大好きで、さらに数学の勉強をしたいと思うようになりました。
私が住んでいた村の人々は私の両親を含め全員専業、もしくは兼業農家でしたので、大学に進学する事は簡単ではありませんでした。農業だけでは十分な収入を確保できず、手に職をつけ他の仕事もする事が私にも期待されていました。将来結婚し、家を建てる時の貯金のために、子育てもしやすいような職場に就職するようにと両親に言われました。 そのようなわけで、大学に進学する事を両親に反対されました。大学を出てどのような職業に就けるのか、彼らには想像もつかなかったし、何より将来結婚した時に良い妻になれなくなってしまう事をすごく心配していました。女性であるという事だけでほとんどの事を禁じられてしまうこの村の風習が大嫌いで、いつも両親とぶつかってばかりいた私はすでに親不孝娘でした。それがさらに、大学で数学を学びたいなんて事を言い出したのです!同じ村に、1年目で難し過ぎて大学を辞めてしまった女子がいた事もあり、両親や高校の先生にも、大学で数学を勉強するのは本当に難しい事だと言われました。 でも夢を諦める事など出来ず、両親には高校の数学の教師になりたいと言って進学をし、1年目の終わりに “本物” の数学の勉強に方向転換しました。(編注:彼女の大学には「高校教師になるために数学を学ぶコース」と「数学の研究をするために数学を学ぶコース」がありました。これは、ドイツでは一般的なことのようです。)
大学に進学してから最初の数年は本当に大変でした。生活費のための仕事と通常の講義のための勉強だけでなく、小さい村出身の私は、コンピューターの使い方など大学では当然知っているとみなされる数々の事を高校で習っていなかったので、周りに追いつくために一人いろいろと勉強しなくてはなりませんでした。でも私は諦めませんでした。金銭的に困っていたため、国の特別奨学金に応募し、学部生の時も大学院でも奨学金をもらう事が出来ました。その後も運良く希望していたイタリアの Scoula Normale Superiore di Pisa で学ぶ事ができ、とても良い教授の方々や素晴らしい数学に関わる機会を得る事が出来ました。
皆さん、いろいろと書いてきましたが、私の生い立ちから皆さんにお伝えしたい大事な事が一つあります。それは大好きな事、やりたい事があるのなら躊躇せずに頑張って下さい、という事です。女性に数学は向かない、などまだ偏見が残っているようで、先生や教授も一般的に女子には数学を勧めないかもしれません。そして私達女子は、自分の道を自分で切り開く事があまり良くない事だと思いこまされて、誰かが将来の方向を決めてくれるのを待ってしまう事があるかもしれません。でももしあなたが数学を愛しているのなら、勇気を出して諦めないで下さい! もちろん私も自分の能力について、とりわけ就職先が見つかるかどうかなど心配しない日はありません。ドイツの大学で研究者として仕事につく事は大変難しいですし、企業は歳をとり過ぎた人を採用したがらない傾向があります。でも、もしもの事を心配し過ぎて夢を諦める事なんて私には出来ません!チャレンジする前に諦めてしまい、まだ出会っていない可能性を潰してしまうなんてもったいなすぎます。
女子の皆さん、諦めず一緒に夢を追い続けましょう!
※2016年9月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。