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この文章を書いたのは?

日本放送協会(NHK)制作局
第1制作センター経済・社会情報番組部ディレクター

木原 克直

数学から番組制作へ あの“感動”を共有したい


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■「数学」と「テレビ番組制作」の似ているところ

 いきなりですが、私には忘れられないひとつの問題があります。その問題とは、大学院受験の際に出会った次の問題です。

「最も感動した数学の定理(または理論)を述べよ」

 問題を見た瞬間、「なんてステキな問題を出すんだろう!」と興奮したのを憶えています。この問題の向こうに数学者たちが数学を楽しんでいる姿が見えた気がしたのです。

 そして、大学院を卒業し数学から離れて7年。現在、私は放送局でテレビ番組を制作する仕事をしていますが、結局、「この問い」と向き合いつづけているような気がします。

「この新技術、どこが新しくて、何が面白いの?」

「この職人さんの技、どこが他の人とちがい、どこがスゴいの?」

面白いものに出会い、感動し、その感動をなんとか誰かに伝えたい・・・この点において、「数学」と「番組作り」は、とても似ているのではないかと感じています。

■キッカケは小さな出会い

 大学院で数学を学んでいた私が放送局を志望したキッカケは、数学の難問「ポアンカレ予想」が解かれた舞台裏を取材した番組NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのかでした。

「ポアンカレ予想」というのは、「4次元空間の図形」についての問題なのですが、「どうやって2次元平面のテレビで表現するのか」、私は興味を引かれたのです。

 番組では、難解なポアンカレ予想をエッセンスだけ残し徹底的に簡略化、手触り感のあるCGで見事に表現していました。それにより、だれもが神秘的な4次元の世界を覗くことが出来たのです。

この番組と出会ったことで「数学の面白さ」を伝える仕事は、大学の外にもあることを知りました。

■番組づくり。戦争から福祉、地方までジャンルは無限

 では、入局後、科学番組を作っていたのかというとそうではなく、初任地の長崎では原爆・戦争について体験者を取材させて頂いたり、世界遺産にもなった軍艦島を取材したり、貧困や障害者福祉などに関わる番組の制作もしました。現在、関心があるのは「日本の地方」。人口が減少し産業が行き詰まるなど課題は山積みながら、その状況を打開しようとするアイデアが各地で生まれています。地方から日本を盛り上げようとする魅力的な人たちの背中を少しでも押せるような番組を作りたいと思っています。

■世界は「なぜ?」で満ちている

 取材を通し様々な現場を見ることができたことで、あらゆる現場に「なぜ?」が溢れていることを知りました。

たとえば・・・

「長崎を撮り続けたカメラマンが、50年も原爆に関わる写真を公表しなかったのはなぜ?」

「仕事がなくても、若者達がこの島に戻ってくるのはなぜ?」

「こんなに便利なロボットがあるのに、福祉の現場で普及しないのはなぜ?」

その問いに対して、取材し、話を聞き、資料を読み、データを集めて答えていくのが番組制作です。そのプロセスは、数学の「仮説(予想)」→「証明」そのものです。

仕事の中でもっとも面白いのは、自分の「仮説」が外れた時です。想像を超えて複雑な事情があったり、意外な主人公の過去があったり・・・そんな事実に直面した時、私はこの世界の「複雑さ」と「豊かさ」の一端に触れたような気持ちになります。その感覚は、まったく別の世界だと思っていた二つの数学が繋がるときの「感動」とよく似ています。

■数学を学んだ財産 = 「面白がること」

 ここまで、何度も「感動」という言葉を使ってきましたが、私が数学を通して得た一番の財産は、この「感動しやすい体質」ではないかと思っています。

 冒頭で紹介した「最も感動した数学は?」という問題に対して、私は大学3年生で学んだ「ヒルベルト空間の導入とフーリエ解析」のことを書きました。大学に入り学び始めた「微分積分」などの解析学と「線形代数」の先にある代数学、それぞれ別の世界の数学だと思っていたものが「ヒルベルト空間」という概念で融合した瞬間、驚くべき強力な定理が出てきた感動が忘れられなかったからです。この体験は、まったく別の二つの世界が繋がった時、新しい地平が開ける感動を教えてくれました。

 他にも、数学は様々な感動を教えてくれました。大学1年生で学んだ「イプシロン・デルタ論法」は、なんとなく分かったつもりになっていたことを、これ以上議論の必要がない、完全に説明できたという感動を教えてくれました。有名なオイラーの公式「$e^{i\pi}=-1$」は、世界には人智を越えた不思議なことがある感動を教えてくれました。

 数学が好きな人、学びたいと思っている人は、きっと幾度となく数学に感動し、鳥肌が立った経験を持っているのではないでしょうか。私も、あの「トリハダ」が忘れられず、一人でも多くの人と共有したいからこそ、この仕事を選んだのだと思います。

 

 最終的に選ぶ仕事が、直接数学を使うものではないかもしれません。それでも、数学で培った「不思議なことを面白がり、それを知りたいと思う心」はきっと様々な分野で生かせる、と私は信じています。

 

※2017年1月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。

著者略歴

日本放送協会(NHK)制作局
第1制作センター経済・社会情報番組部ディレクター
木原 克直
京都大学理学部理学科(数学専攻)卒業
東京大学大学院 数理科学研究科 確率論専攻 修了

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