数学は、自分という物語を一緒に歩いてくれる良き相棒
私の父は、小学校の教員でしたが、戦争で優秀な兄を亡くす体験をしたためか、人間の本質とは何かというようなことを考えていたようです。書棚には、分冊になった「人間の条件」が並んでいました。小学生の私は、その中身を読んだことはありませんでしたが、無条件では人間にはなれないものかと思い、風呂焚きをしながら、「なぜ、人間は生きているのだろう。毎日同じことの繰り返しなのに。」と考えたりしていました。そのころ好きだったのは、劇場中継を見る、落語を聞く、そして、読書、小遣い帳をつけることでした。
しかし、中学一年生の秋、4歳下の弟を事故で亡くしてしまい、私は、悲しみのあまり、泣くこともできませんでした。寂しさを紛らわすため、自作の歌など作って自分を励ましていましたが、中学二年生で、幾何の証明というものを習ってからは、それを考えている間は、弟を亡くした喪失感を忘れていることに気づきました。それからは、クラスの男子生徒たちと難しい問題を見つけては、証明を競い合うようになりました。
そして、高校生になると、漢詩の構成の美しさに惹かれ、数学科に進むか、漢文を選択するか迷いましたが、私は、文学や芸術で食べていくのは難しい、経済力がなければ、生きたいように生きられないと結論づけました。そのころ、岡潔や寺田寅彦の文章に触れ、その透明感にあこがれたものです。それから、英語もその単純さと美しさ、表現の自由さ、それにどうも、日本語よりも平易な言語のようだと思いました。そして、友人たちにはよく、「ああ、私、数学と英語だけ勉強していればいいんだったら、どんなにいいだろう!」と言っていたものです。まさか、まったくその通りの生活を、しかも、40代を過ぎてから過ごすことになろうとは、夢にも思っていませんでした。
さて、憧れの大学に入学できたものの、大学の授業の進め方が全く高校までと違うことに戸惑ったわたしは、大学の数学は、一生理解できないのではないかと思い、劣等感の塊としか自分を位置づけることができませんでした。しかし、それまでこうと決めたら、いつでも成し遂げてきた自分のイメージを捨てきれず、いつかは挽回してみせるぞ、と心のどこかで信じていました。ただ、現実には空回りするばかりで、どうすれば、本当にやりたいことに集中できるのか、わかりませんでした。今、思い返すと、本当にやりたいことが何なのか、自分でわかっていなかったのだと思います。そして、「なぜ、自分は、現在ここに居るのか?」を問い詰めた結果、「高価な部屋代を支払うために、働き続けなければならないから。」でした。そのころ、日本の大学院時代の後輩たちが、研究成果をあげて活躍しているニュースを聞き、いいなぁと思いました。当時は、独身でしたので、失うものは何もないと考え、密かに留学の決意をしました。
留学のために、英語学校に通い始め、わたしの見える世界はどんどん変わっていきました。移動しやすいように、なるだけ荷物を持たないという人達がいることも知りました。しかし、何より驚いたのは、私自身の内面の高揚感でした。もう、毎日が楽しく、仕事が終わってから、夜遅くまで英語学校に通っても苦になりませんでした。そんな生活を二年ほど続けてから、退職し渡米しました。そして、もう一度、数学の中でも、日本で目指したのとは違う専門分野で、大学院に入り直し、博士号を取得したのです。
というわけで、人間の条件とは何か考えていた小学生の私に対する答えの一つは、「人間とは、物語を作る存在である。物語を全く作らないでは、人間である甲斐がない。」ということです。数学の証明は、物語を作ること。だから、自分に合った物語を探しに行くのが、数学をする醍醐味というわけです。皆さんは、どう思われますか?
※2022年8月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。
著者略歴
2003ルイジアナ州立大学大学院で、グラフ理論でPh.Dを取得。
2020 ルイジアナ州立工科大学を准教授として退職。
女子中高生の数学啓蒙への第一人者、ダニカ・マッケーラ著の和訳を「数学を嫌いにならないで」と「数学と恋に落ちて」として、岩波ジュニア新書 (2018)から出版。現在の趣味は、数学、朝ドラ、散歩。