ファッションデザイナーが数学に出会うとき
私の数学との出会いは、女性たちが、一見装飾的に見える私のドレスを「シンプルだから、大好き!」って言ってくださったところから始まります。
私は、高校時代から美術科というところで、アートを学びました。
おりからの学生運動で、数学の時間は眠り、絵と彫刻ばかりしていました。
数学のことも科学のことも、私にはとても遠いものでした。
いい絵を描きたい、彫刻を作りたいと思い、技術を磨きました。
でも、情念こそがすばらしいと思い込んでいた私は、思考しながら、計算しながら描くことを恥ずかしく思い、何を表現したいかに迷っていました。
そんな中で、純粋な造形なら私にもできる!造形に徹しようと決心していました。私はそこに創造したいという思いの活路を求めていました。
そしてアメリカのシカゴで、出会ったファッションデザインは、当初の私には純粋な造形だったのです。
思考と感性、論理と直感、そして情念とは?そんな中ずっと私の意識の底でいつもうごめくものがありました。
ファッションの世界でも、アートと同じく、感性と思考をいつもvs対抗するものとして捉えていることに疑問を感じていました。
思考の世界への最初の出会いは、物理学でした。
あまりのクリエイティブさにびっくりしました。
時間と空間を同じように扱って、宇宙のあり方に迫るなんて!!
重力は空間の歪みである。観測者によって変わる・・・
クリエイティブとはいったいなんだったのかしら?と思い、早くその思考に出会いたい、科学者にお会いしたいと焦りました。
そして、物理学の研究者の方が紹介してくださったのが、トポロジーの研究者の方でした。
長さや角度にとらわれない、つながりを重視する幾何学・・・・・
思考あるいは論理と直感が、導く世界のきらめきに心が躍りました。
そして、やがて、アートと科学という分野をこえて、内包しあう意識について深く考えるようになりました。
論理と感性、思考と直感・・・それらは、敵対するものではなく、内包しあっている・・・・・まさに内包しあう思考と直感でたどり着きました。
数学は、人間が、(科学が)何かを読み解くとき、いつも登場していました。
数学について、敬愛の念を禁じえませんでした。
私には、数学は、人間の脳そのものを探求する純度の高い言語だと思われるのです。科学が人間の脳と森羅万象の関係性を追求しているのなら、数学がその礎であり、総ての素になると・・・・
女性たちが、私のドレスをシンプルと感じるのは、私はアートを通して、自然界を視覚的に探求していたからなのだと思います。
尊敬する脳科学の研究者の松本元先生にどうして女性は私のドレスをシンプルっていうのでしょう?と聞いたとき
元先生は、仮説なのだが、と、こう答えられました。
「できたものが複雑でも、作る過程がシンプルな法則があれば、脳はそこに再生(修復ではない、完全な再生)を感じて安心する」
そして、それが、アートと数学が人間の意識として、交わるところなのだと思うのです。そうなのです、私のドレス作りにはある種の法則がいつもありました。自然界によく現れる法則を知らず知らずに使っていたのです。
フィボナッチ数列。フラクタル。螺旋。
そして、数学の研究者の方とコラボレーションすることによって、さらに楽しい造形が生まれてきました。
また、なにより楽しいのは、数学に関わる女性の方たちの論理が爽やかで、すてきな議論ができることです。
数学が、本質を捉えた抽象は、自然界と人間の脳の関係性を私たちに見せてくれます。
自然界の抽象を人間の脳が美しく感じないはずがないのです。(と、私は考えています。)
そしてその服は官能的にすらなると。
私の服、「感覚する服」は、生命体の外殻としての服です。
そこには、自然読み解く鍵である人間の脳に極限までせまる数学の考え方がちょこっと潜んでいるはずなのです。(そうだといいのですが)
人間の脳に届くように探求した自然界の抽象を、もう一度現実界に解き放ちたいと、希求しています。
数学は、すべての創造につながるもの。
世界は数学であふれています。
2018年2月2日 ファッションとしては革新的な「本当の花嫁さんのファッションショー」を開催します。
ぜひいらしてくださいませ。詳しくはこちら
※2018年1月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。
著者略歴
数学、科学の研究者さんたちと、楽しくコラボレーションしながら、新しい角度から、服を創っています。
音の世界にも惹かれ、バンド、ケアレス神経細胞をしていた時期もあります。