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この文章を書いたのは?

東北大学 材料科学高等研究所 准教授

小澤知己

数学と物理 ―トポロジーと絶縁体と私の研究生活

私は物理学の研究をしています。物理の研究に数学は欠かせません。ここでは私が最近研究しているトポロジカル絶縁体という物質について少しご紹介したいと思います。

トポロジカル絶縁体というのは絶縁体、つまり電気を流さない物質の一種です。電気とは電子の流れです。電子は物質の中での位置や速度などに応じてさまざまな状態を取ることができるのですが、電子の状態は現代物理ではある種のベクトル、つまり向きを持った矢印で表されることが知られています。物質の中にはたくさん電子がありますが、ある電子とその近くの別の電子の向きを比べてみると少し方向が変わっていることがあります。物体全体で見た時に電子の向きがだいたい揃っているのが普通の絶縁体ですが、トポロジカル絶縁体では電子の向きが物体全体でくるくると何度か回転しています。この何回回転しているのかというのは数学、特にモノの形の性質を研究するトポロジーという分野の方法を使って計算することができます。

トポロジーはモノを多少変形しても変わらない性質を調べる数学の分野です。もう少し数学的な言葉を使うと、モノの連続的な変形では変わらない性質に注目します。例えば普通のドーナツには穴が一つありますが、サーターアンダギーには普通は穴が一つもありません。穴の数は多少ドーナツを変形しても変わらないので「トポロジカル」な性質と言えます。ここで、穴の数を増やしてしまうような激しい(不連続な)変形は考えません。他にも、ドーナツの個数はドーナツを2つに割ってしまうような激しい(不連続な)変形を行わない限り変化しないので個数もトポロジカルな性質です。

 

トポロジカル絶縁体の電子が「何回回転しているのか」というのもトポロジカルな性質で、物質を多少変形しても変わりません。そして、トポロジカル絶縁体は絶縁体なので内部に電流は流れないのですが、この「何回回転しているのか」に応じて表面に電流が流れることが知られています。電子の矢印が「何回回転しているのか」という数学的な性質と表面電流の大きさという物理的な性質は一見全く別物なのですが、そこに意外な関係があるというのが驚くべきことで、2016年のノーベル物理学賞はこの発見に与えられています。この表面電流はトポロジカルな性質に由来しているので試料の形や実験条件などを多少変えても変化しないという特徴があり、理論・実験の両面から近年大きな注目を浴びています。

トポロジカル絶縁体はもともと磁場をかけた物質で見つかりましたが、その後に光や音波、また、赤道付近を流れる海流・気流など幅広い現象とも関係していることがわかってきました。磁場の中の電子に働く力(ローレンツ力)と自転する地球の上を動く物体が感じる力(コリオリ力)が数学的に似た形をしているため、トポロジカル絶縁体と似た現象が赤道付近の波でも見えるのです。私は物理の研究者ですが、日頃からトポロジーや幾何学に詳しい数学者と議論したり、また、電気工学や情報工学の研究者と一緒にトポロジカル絶縁体の性質をうまく使ったデバイスの作成を目指したりもしています。トポロジカル絶縁体はトポロジーという数学を通して物理から工学まで幅広いインパクトを持つ非常に分野横断的でエキサイティングな研究対象です。

最後に少し、私の研究生活や日常についてもご紹介したいと思います。私は大学の准教授ですが、テニュアトラックという形で雇われています。5年の任期があって、任期の最後に審査があり、審査に合格すれば任期のない仕事につけるという身分です。任期のない仕事をテニュアと呼び、そのテニュアをゴールとして陸上のトラック競技のように走る道が続いているのがテニュアトラックです。また、大学内の研究所に勤めており、授業負担はないので基本的に研究に専念できます。各種の委員会や大学運営の業務の負担もほとんどありません。他学部や他の大学の教員の方々とお話しすると、研究に集中できるという点で自分の研究環境は大変恵まれているなと感じます。しかし、その反面で業績をあげなければ数年後の職が保証されていないというシビアな環境なのでプレッシャーは大きいです。

私の妻も研究者で、同じ大学で生化学の研究をしているポスドクです。5歳の娘と3歳の息子がいて4人暮らしです。娘と息子は残念ながら同じ保育園に入れず、別々の保育園に通っています。平日は朝、私が息子を、妻が娘をそれぞれの保育園に連れて行きます。保育園に息子を預けた後9時前後に大学に着いて、それから夕方まで研究をします。夕方17:30過ぎに仕事を切り上げ、保育園に息子を迎えに行きます。平日の夕食は私が作るので、買い物が必要な時は息子と一緒に近くのスーパーに寄ってから家に帰ります。たいてい夕食を作っている途中に妻と娘が帰ってきて、家族で一緒に夕食を食べ、そのあとは家族団欒の時間です。週末は仕事をせずに家族と過ごします。この研究スタイルはイタリアでポスドクをしていたときに培ったものです。イタリアに来て早々、同僚に「週末にオフィスに来て仕事をするために建物に入るにはどうすれば良いの?」と聞いたら「週末に仕事に来たことがないから分からない」と言われ、そうか、週末には仕事しないんだなと思ったのをよく覚えています。夜7時頃にオフィスで研究していたら隣のオフィスの教授に「もう遅いからそろそろ帰ったら?」と言われたこともありました。それでみんな立派な業績をあげているので自分も感化され、日本に帰ってきてからもイタリア式で仕事をしているつもりです。研究者の仕事と子育ての両立はよく問題となりますが、出勤・退勤が厳しく管理されていない研究者の仕事は子供の急な病気や保育園からの呼び出しに柔軟に対応できてむしろライフ・ワークバランスが取りやすい仕事なのではないかと私は感じています。配偶者と同じ地域で仕事を見つけることや任期付きでない仕事を見つけることの難しさはありますが、出勤時間が管理されていたり多くの残業が避けられない仕事の方がむしろ子育てには厳しいのではないかと思います。なんと言っても、日中は好きな研究をして、それ以外の時間は好きな家族と過ごせるのは幸せなことです。

 

※2021年9月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。

著者略歴

東北大学 材料科学高等研究所 准教授
小澤知己
1983年東京生まれ。2012年アメリカのイリノイ大学で物理の博士号を取得。イタリアのトレント大学などヨーロッパでの6年間のポスドクを経て2018年に理化学研究所数理創造プログラムの上級研究員として帰国。2020年から現職。専門は理論物理、特に物性理論。趣味は水泳やチェスなどですが、残念ながらレベルは高くありません。絵画・芸術鑑賞も好きで、フェルメールの現存する絵画は(盗難中のものを除き)全て見ています。

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